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「20世紀の世界(社会システム)に最も影響を与えたエンジニアは?と聞かれたら、 わたしはヴァネヴァー・ブッシュと答えましょう」という話

2024年6月28日は、ヴァネヴァー・ブッシュ(Vannevar Bush, 1890-03-11 - 1974-06-28)没後50年にあたります。

本土が戦場にならなかった戦勝国はアメリカだけだったわけで、戦後の経済的に有利な状況の中、 今日の「科学研究の支援」「その成果の商業化 (ものによっては後世イノベーションと呼ばれる)」 そういった体制づくりは、 ブッシュの提案したヴィジョンの延長線です。 また、 それとは別枠で、 ブッシュの妄想した夢(啓蒙)を探求した後の世代はパーソナルコンピューティングという形を実際に作ることになります。

ブッシュの未来予測が正確だったとかということはないし、 今から見ればブッシュは多くの間違った予測や助言をしています。

しかしながら、 ブッシュは、政治家とも話せたし、一般大衆への語りかけも上手という非常に珍しいエンジニアでした。 もっとも、職業政治家ではなかったし、政治家や経済界のリーダとして表舞台に出るといったこともなかったので、 そういった面での知名度はありませんでしたが、 20世紀中盤においてアメリカの指導者や知識人層への影響力は絶大でした。 ちなみに 「(WW2の時代)いなくなると困る人物のNo.1は、もちろんルーズベルト(大統領)だが、 No.2か3がMr.ブッシュ」と当時の政府高官が回想しているくらい(非公式に大物)のポジションにいました。 とうぜん戦後の産学間体制にも大きな影響を与えました。

ブッシュの人物像

ブッシュは紙に書く世代の人です。 実際、 生涯、個人的な手紙や雑誌記事等を通じてのやりとりがブッシュの主力のコミュニケーション手段でした。

ブッシュが学生だったころ、 最先端のコミュニケーション手段はアマチュア無線、 最先端メディアは映画つまりフィルムだったと言えるでしょう。 ラジオ放送は、ようやく始まろうとしていました。 ブッシュは大学でアマチュア無線クラブに入っていたそうです。 でも、個人的なやりとりとなると、やはり主力は手紙だったでしょう。

ちなみにアーネスト・ヘミングウエイが1989年うまれなので、ほぼ同い年です。 1920年代に、ヘミングウエイは、 パリでガートルード・スタインの影響をうけ、 あの簡潔な英語文体で書くようになりました。 ブッシュも平易な英語文体なので、そういう時代かな〜とは思いますね(根拠はありません、単なる個人の感想です)。

雑誌アトランティックマンスリー(The Atalantic Monthly)の編集長が、 エマソン(Ralph Waldo Emerson, 1803-1882, Transcendentalist)を引き合いに出して ブッシュを評したことに象徴されるように、 ブッシュはニューイングランド育ちの王道と言ってよい人物像だったと思います。

初期入植地のニューイングランドは、アメリカ独立戦争、トランセンデンタリズム、ベンチャーキャピタルの故郷です (ただ、この話を始めると、たぶん数十ページ続くので、以下"うわっつら"な話だけに限らせていただきます)

[注] ちなみに、政治家のブッシュ一族(パパが湾岸戦争、息子が9.11の時)とは何の関係もありません

ブッシュの業績 (エンジニアとして)

1920年代〜1930年代のマサチューセッツ工科大学(以下MIT)時代を簡単にまとめると、 こういった感じでしょうか。 いずれにせよ、商用インターネット世代には馴染みの無い話題でしょうが …

  • 送電網の研究
    • その後20年あまり広く使われた教科書も書いています
  • 微分解析器(ブッシュ式アナログコンピュータ)
    • 送電網のミニチュアを作って評価していたのですが、この実験と評価が大変で、 これを補助するために計算機を作りはじめました。 このコンピュータの改良の先にENIACがあります
  • 1930年代に Bush が指導した博士課程の学生のなかでとりわけ著名な人物
    • クロード・シャノン (情報理論の父)
    • フレデリック・ターマン (シリコンバレーの父)

ブッシュの業績 (テクノクラートや組織者として)

1930年代〜1940年代にかけての、 おもにMITを離れた後の Bush の仕事は後世に大きな影響を与えました。 なおMIT時代から一般大衆への啓蒙については考えていたようですが、 MIT時代は本格的な啓蒙活動には取りかかっていないようです。

大別すると次の三種類といえるでしょう

  1. 第2次世界大戦(以下、WW2)における科学者の軍事動員、これのトップ
  2. 科学研究支援の枠組みを作る、成果の商業化(イノベーション)
  3. エッセイなどを通じた一般大衆への啓蒙

第2次世界大戦(以下、WW2)における科学者の軍事動員

直轄の案件という意味では、これがもっとも有名です

軍産学複合体はWW2前からあるのですが、Bushは、この体制を大々的に組織しました。 WW2での科学者動員数は6000人と言われています。 そして、 この複合体は、戦後も多かれ少なかれ続いていきます

科学研究支援の枠組みを作る、成果の商業化(イノベーション)

上と似た路線ですが、平時の(軍が絡まない)科学研究支援の枠組みの構築です

(ブッシュにかぎりませんが) ブッシュも基本的に「民間にまかせろ」という思想の人です。 (戦時は特別として、平時は)「民間にまかせろ」と言い換えてもいいでしょう。 現代なら、 きっと、 ブッシュは、 サイバーリバタリアンとかテクノリバタリアン(テッキー)のエバンジェリストと呼ばれていると思います。

また、科学者は(成果の)商業化にも積極的に関わるべきと考えてもいました。 ブッシュ自身も学生時代に特許を取得しているし、 同級生と会社も経営していました。 わたしが、ニューイングランド(アメリカ思想史の故郷)出身の王道っぽいと感じる所以です

1947年ごろにはホワイトハウスと疎遠になるので、このあとは間接的な関与になります。 1950年に全米科学財団(NSF)が創設されましたが、NSF構想の原点はブッシュの提案書です

弟子のフレデリック・ターマンは、スタンフォード大学で、師匠のブッシュと同じ路線を進めました。 ちなみに1930年代の終わりにヒューレットとパッカードに起業を勧めたのはターマンです。

(以下、イヤな顔をする人が多そうですが、事実は事実なので、気にせず進めましょう。さて)

シリコンバレーの発展にとってアメリカ軍からの発注は重要でした。 実際1967年までシリコンバレーの売上の過半数はアメリカ軍の案件です。

一方、ブッシュはアポロ計画のような(無駄な)政治ショーには反対でした。 これは、とても正論です。 しかしながら(後世からみれば)これは逆方向の意見でした。 事実として、 アメリカ軍やNASAからの発注が、 半導体の大量生産技術の確立や信頼性の向上に大きく貢献したことは間違いありません。 この発展がなければ、 エンゲルバートが「すべてのデモの母」を実現するのは、もっとずっと先のことだったでしょう (たぶん、完成する前に助成金が尽きて開発途上で空中分解してそうです)

エッセイなどを通じた一般大衆への啓蒙

文章世代なので雑誌に掲載されたエッセイが中心です。 ちなみに晩年にテレビ出演をしたことが一度だけあるそうです。

もっとも有名なエッセイが"As We May Think"(1945)、 World Wide Webやパーソナルコンピューティングの御先祖と言われる記事です。 ダグラス・エンゲルバート(マウスの発明、すべてのデモの母)も、 テッド・ネルソン(Hypertextという用語を考えた、ザナドゥ)も、 アラン・ケイ(ダイナブック)も影響を受けた伝説のエッセイです

アナログコンピュータ(微分解析機)

ブッシュの論文を元に、世界中で「ブッシュ式アナログコンピュータ」が作られたようです。

日本で作られたものを復元したアナログコンピュータが東京理科大学で見られます (注: むかしは神楽坂にありましたが、今は野田キャンパスに移設されています)。 運がよいと動いてる様子が見られます?もうやってない? ちなみに、わたしは神楽坂時代の最後に、 (まったくの偶然ながら)和田先生の解説つきで、 動作の実演を見たことがあります:-)

ようするに数値計算をする機械なのですが、 少しずつ動かして、値を足して計算していくわけです (数値計算の基本はオイラー法とかルンゲ=クッタ法とかを調べてください)。

このアナログコンピュータの原点は、 ブッシュが大学の頃に特許をとった農地の計測器(Profile Tracer)です。 積分器がついている手押し車を押して歩くと自動的に計測する機材でした。 大ざっぱにみれば、数値計算=少しずつ足しあげること=積分なので、 Profile Tracerの進化形として、 Bush式アナログコンピュータ (Differential Analyzer)という発想があるわけです。

ブッシュ式の実物を見ないと分かりにくいですが 「回転する円盤(= すこしずつ動く)の出力をプーリーで100倍に増幅して、 中央のバスに接続する」みたいな動作をしています。 ここの増幅が重要です。

設定は物理配置そのものになります。 解きたい方程式を分解して、どこに円盤を設置して、どう増幅する?などを考えるわけです。 このセットアップがけっこう大変なので、 (当時すでにラジオはあったから) 真空管やらリレーやらを駆使して設定を楽にできないか?を考えた改良の延長線上にENIACが登場します。 なお、ENIACの開発くらい後の話になると、ブッシュは無関係です (もちろん開発助成をする側のトップなので、立場上ENIACについて知ってはいました)。

われわれが考えるように(As We May Think, 1945), Memex

(1年後が、ちょうど80周年なので)Memexは軽くなぞるだけにしましょう。 ちなみに、 Memory Extension もしくは Extender の省略形で Memex だそうです。

もともと、 この話は、 大不況(つまり、ジョン・スタインベック「怒りの葡萄」)のころの依頼で 「未来から過去を振り返る」という(SF仕立ての?)設定で考えるという記事が原点でした。 企画の気持ちとしては「いまは大不況だが、みんな元気出そう」と言ったところでしょうか。

率直に言って、 自分の得意な微分解析機と、 すでに当時あったマイクロフィルムやファクシミリなどの技術を外挿するとどうなるか? を考えたエッセイのように読めます。 ただ外挿のレベルは非常に攻めています。

確かに理想だと思うけれど、 これは実装できなさそう〜などとと言ってはイケないのだと思いますが、 むしろ、 これ(のようなもの)をどうやって実現するか?に執念を燃やしたエンゲルバートが凄いです。

科学、終わらないフロンティア

“As We May Think"改訂版は、 より記述も改良されたうえに、セクションタイトルが追加され読みやすくなっています。

この改訂版の1年ほど前に大統領に提出された報告書のタイトルは「SCIENCE, THE ENDLESS FRONTIER」でした。 公式文書のタイトルとは思えない"こっぱずかしい"タイトルに聞こえますが、 臆面もなくブッシュは書いてますね。 たぶん、つねひごろから、そう本気で思っていたのでしょう。

“As We May Think"の最終節のタイトルはHORIZONS UNLIMITEDです。 戦時体制は終わるので、 科学者は本業に戻り科学という果ての無いフロンティアの開拓に取り組もうというメッセージが、 いちばん"As We May Think"で述べたかったことのように思います。

また、 この記事は(近未来のスーパー)兵器の使用と戦後の暗い予感を匂わせて終わります。 本来は戦後に出版する予定だったものを早めて1945年7月のアトランティックマンスリー誌に掲載された理由の真意が、 最終節に集約されている気がします。

参考文献

  • G. Pascal Zachary, “The Essential Writings of Vannevar Bush” (Columbia University Press, 2022)
    • Zacharyは、あの「闘うプログラマ」(David CutlerチームによるWindows NT開発秘話)の著者です
    • 闘うプログラマが1990年代前半の出版で、1990年代の終わりにブッシュの自伝を出版しています。 本来は、自伝を、補完するべく始められたプロジェクトのようですが、 実際に書きあがるまでに20年ほどかかってしまったのでした
  • Jennifer Ratner-rosenhagen, “The Ideas That Made America: A Brief History” (Oxford University Press, 2019)
  • 東京理科大学 近代科学資料館
  • Vannevar Bush, “As We May Think.” The Atlantic Monthly, Vol.176, No.1, p.641-649 (The Atlantic, 1945)
  • Richard Rhodes, “The Making of the Atomic Bomb Paperback” (Simon & Schuster, 1986); 邦訳: リチャード・ローズ(著), 神沼二真(訳), 渋谷泰一(訳), “原子爆弾の誕生 〔普及版〕<上><下>” (紀伊國屋書店, 1995)

As We May Think書誌情報

  • As We May Think
    • 初出は雑誌アトランティックマンスリー(The Atalantic Monthly)の1945年7月号、 たしか発売日は1945年6月28日。 これは文字だけです
    • 有名な図は、1945年9月の雑誌ライフに転載された版で追加されたものです
    • 少し後のエッセイ集に収録された版は、少し改訂されています。 本記事で、おもに参照している版です
  • Memex の原点
    • Memexの初出が1945年でないのは知っていましたが、 この話の原点は1933年のMIT同窓会誌に遡るのだそうです(これはトレースするのが難しい;-)