今回は60年前/60周年のお話です
1963年7月1日はMITのProject MACの誕生日とされています。 もっとも、これは単なる発足日ですが…
OSや人工知能(AI)分野で有名なProject MACという組織は、 アメリカ国防総省(DoD)の補助金を配る組織ARPA(Advanced Research Projects Agency)の支援を得て発足しました
ARPA側の担当部署はARPA Command and Control (以下C&C、のちのIPTO)で、 C&Cの初代ディレクタ(1962/10/01〜)はJ.C.R.Licklider、 ハーバード -> MIT -> BBN -> ARPA C&Cという経歴の音響心理学者です。 C&Cが支援したプロジェクト群がインターネット直系の先祖にあたるので、 Lickliderはインターネットへの道を描いたvisionaryと言われています。
おおざっぱに言えば、 Project MACとは、 F.J.CorbatoのOS(タイムシェアリングシステム)グループと、 M.MinskyのAIグループの寄り合い所帯で構成されていました。 CorbatoはCTSSや(Project MACの)Multicsで知られるタイムシェアリングシステムの先駆者の一人です。
前日譚(1): Corbatoとコンピュータ
インターネット古代史は、いつのまにか物理学史になっているのもあるあるです。
業界あるあるですが、 Corbatoも物理学でPh.Dを取得して、そのあとコンピュータ屋さんですね。 指導教官は有名な Slater [MGP 2023] (スレーター行列式他たくさん;物理の教科書もあります)。 とある報告書[DoD 1954]を見ると、 書類上は(これまた有名な) Morse の研究室だった?ようにも見えますが、 博士号の指導教官は Slater になっています。
この報告書[DoD 1954]を見ると、 当時Whirlwindという高速コンピュータをMIT内の科学技術計算にも転用していて、 Morseが責任者だったようです。 そういうわけで、 SlaterやMorseの学生たちはWhirlwindで個体物理の計算をしていました。 そういう研究をしているうちに、 物理よりコンピュータのほうが面白そうと、 卒業後、そちらへ進む人が出現するわけですよ:-)
ちなみに、 当時の空軍の関心の一つとして北アメリカ防空システムの構築があり、 MITが受注していた空軍の案件がWhirlwind(のちのSAGE)です(長くなるので別稿)。 そしてLickliderも一時期SAGEに参加していました(参加させられていた?)。
WhirlwindやSAGEの理想像は 「北米大陸海岸線にあるレーダーサイト群の情報を統合して表示し、 敵機(戦闘機もしくは爆撃機)を発見した場合、 (コンピュータ素人の)オペレータが、 これを迎撃しろと指令を出せる (指令はタッチペンみたいなもので「これ」ってレーダースクリーンの上で指定すればOK) 」ようなシステムと考えられます。 このようなシステムでは、 とうぜん限りなくリアルタイムな動作と優れたマン-マシン・インターフェイスが要求されるはずです。
SAGEでは、コンピュータと人間が協調動作する必要があります。 迎撃の最終判断をコンピュータに任せるような危ない発想を軍はしないでしょうから、 もともと半自動の想定だと思うのですが、 人間がコンピュータに組みこまれているとも言えるし、 人間の思考の仕組みがわかれば、もっとよいものが作れそうです。 そう考えれば、 サイバネティックス、 人工知能(注: 機械学習ではなく人間の思考の仕組みが知りたい系)、 対話的コンピューティングなどを遡ると、 同じような出発点に収斂していくことが納得できます。
Whirlwindって真空管コンピュータの時代まで遡れる話なんですけど …
いずれにせよ、 1950年代のWhirlwind/SAGEまわりにProject MACへの布石その1があります
前日譚(2): MinskyとLicklider
Project MACを経て、のちにMIT人工知能研究所が作られるわけですが、 その前身であるMIT AI Groupの発足が1958年とされています[AILab 2001]。 これはM.MinskyとJ.McCarthyがMITに集った年という説明で良いでしょう[Winston 2016]
じつはMinsky、 Lickliderとは学部の頃からの知り合いでした。 Minskyがハーバード大学の学部時代(〜1950)に、 Lickliderはハーバード大学で教えていました。 MinskyはLickliderの授業をとっていたそうですし、 一緒に色々な実験もしたそうです。
1957年に、LickliderはMITを去ってBBN社に移籍していますが、 しょせんMITの4キロほど先のBBNです。 あいかわらずMinskyらと仲良しだったらしい節があります:-)
ちなみにMIT発ベンチャー企業のBBNは、 インターネット史に何度も登場する有名ベンチャー企業ですが、 もともとは音饗学の会社です。 コンサートホールの設計をするために、 コンピュータに興味を持ったようですが、 インターネットと絡むようになったのは、 もちろん一時期Lickliderが在籍したからでしょう。
1960年末にBBNがDEC PDP-1 初号機(価格は15万ドル)を手に入れると、 PDP-1で楽しそうに作業していた実体は(コンサルタントという名目でやとっていた) MinskyとMcCarthyだったとか…[Hafner and Lyon 1998]
Project MACへの布石その2も、ずいぶん前からあったという話でした
タイムシェアリングシステム(TSS)との接点
Lickliderの専門は、もともと音響心理学で、 いろいろな資料をみるかぎり、 Lickliderはvisionaryというべきであって、 hackerぽいところはなさそうです(hackerの友達ならいるけど)。 少なくとも、 自身でTX-0やPDP-1(のプログラム)をいじくりまわしたり、 フタを開けて分解して喜ぶようなレベルではないように見えます。
前述のSAGEがらみで、 Lickliderが「人間とコンピュータの共生」に興味を持ち始めたと考えられるのですが、 では具体的にTSSというOS研究との接点はいつからなのでしょうか? Lickliderは1950年代の終わり頃TSSに興味を持つようになったと語られているのですが、 だれがTSSに目を向けさせたのか?というと、 はっきりしません。 ある文献では1959年のパリの会議で知ったとされます[Gillies 2000]。 回想録というものは、あまりあてにならないものですが、 (30年後の)本人の記憶では、 Minskyからのメモで知ったということになっているようです[Licklider 1988]。
Project MAC発足(1963夏)
1963年、 ARPA でお金を配る側になっていたLickliderから200万ドルもらい、 Project MACが始まりました。 200万ドルという数字は複数の文献に出てくるのですが、 その予算をMACの中で、 どう分け合ったのか(ざっくりいえば力関係)?が、あいまいです。
Lickliderの権限で出せる1案件あたりの最高額をProject MACに援助したと言われています。 そして当時の一番の関心はTSS(まずはTSSというインフラがないと先に進めないから)のように思われます。 仮に「Corbatoグループが本命、Minskyグループは言いわけ」説(?)を採用するなら、 Minskyたちには少しお金をあげるから遊んでな〜というイメージだったのでしょうか?
MIT人工知能研究所の(2001年時点で約40年を振り返っている)レポート[AILab 2001]に、 記述がありました。 予算の1/3だいたい70万ドルくらいが、 Minskyたち(つまりAIグループ)に割り当てられていたようです。 Project MACにはMinskyが購入したPDP-6があったそうですが、 おそらく、この予算で購入したものですね。 ちなみに、 PDP-6(当時、販売されていたDEC社のIBM競合製品)のお値段は30万ドルだったそうです。 これはIBMメインフレームの一ケタ安い価格になります。 破格の安値です。 もっともPDP-6は23台しか売れなかったそうですけど… (ミニコン購買層とIBM購買層は違うのではないか?:-)
(CTSS弐号機用の)IBM 7094も、このころ購入されたはずです。 ARPAの補助金だけでは、 IBM 7094は買えないので他の補助金ももらっています (どこかでそういう話を読んだ覚えがありますが、リファレンス先は失念)
そしてMultics(1964秋〜)へ
技術詳細はCorbatoのふりかえり[Corbato 1972]やOSの教科書を参照してもらうとして:-) Multicsプロジェクトを1965〜とする文献もありますが、 Corbatoが「1964年秋に始めた」と言っているので、 それに合わせます。 だいたい秋に新年度スタートなのだから、 1964年秋に始まったと考えるのが妥当でしょう。
1962年秋にLickliderがARPA Command and Controlに着任し、 そこから準備が始まり、 2年の歳月を経て、 満を持して壮大なMulticsプロジェクトが始まりました
祖先のCTSS、兄弟分のProject GENIE、MulticsとAT&Tなど、 UNIXへの道には、このあたりのエピソードが満載なわけですが、 それは別の機会に
[この周辺で登場する用語の雑な相関図]
Whirlwind -> TX-0 -> TX-2
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. +--- DEC PDP-1 ... ミニコンの歴史
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(Corbato)
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CTSS ---- Multics @MIT
GENIE @バークレイ
参考文献
- [MGP 2023] https://mathgenealogy.org/id.php?id=104805
- [DoD 1954] AD45687 QUARTERLY PROGRESS REPORT (1954)
- [AILab 2001] S. Chiou et.al., “A Marriage of Convenience: THE FOUNDING OF THE MIT ARTIFICIAL INTELLIGENCE LABORATORY”
- [Winston 2016]
- https://cbmm.mit.edu/sites/default/files/publications/Marvin%20L.%20Minsky%20%281927%E2%80%932016%29%20Scientist%20and%20inventor%20was%20a%20visionary%20founder%20of%20AI.pdf
- P. H. Winstonが書いたMinskyの生涯の簡単な紹介(追悼)記事です
- 注: Winstonの指導教官がMinskyです。 長い間Winstonが人工知能研究所の第2代の所長でした。 ちなみに後継者として、 旧Project MACの2組織がCSAILとして再合体するまでの最後の5年くらい、 第3代所長をつとめたのはRoombaでお馴染みiRobot社co-FounderでもあるR. Brooksです
- [Hafner and Lyon 1998] K. Hafner and M. Lyon, “Where Wizards Stay Up Late: The Origins Of The Internet” (Simon & Schuster, 1998)
- [Gillies 2000] James Gillies and Robert Cailliau, “How the Web Was Born: The Story of the World Wide Web” (Oxford University Press, 2000)
- [Licklider 1988] “An Interview with J. C. R. LICKLIDER”
- [Corbato 1972] F. J. Corbato et.al., “Multics: the first seven years”
- https://dl.acm.org/doi/abs/10.1145/1478873.1478950
- プロジェクト開始から7年後の時点でプロジェクトを振り返って〜という論文 (注: 執筆は1971年秋のはずなので、タイトルの丸7年で合っています)
あとがき
本来は7月分です ;-)
下書きは、ほぼ月刊になってますけど、リリースまで熟成させすぎですね…
すみません